SNSなどの情報化社会、親・祖父母の世代には、まだまだそれが心底理解できずに、
子育て・孫育てに励まなければならない年代がたくさんおられます。
人によっては、明らかにまだ元気な年代で、日頃疲れを感じることが多くなかったはずなのに、
いつの間にか、子育てにも孫育てにも「疲れた、疲れた、大変だ」と漏らしてしまい、
子供や孫からの相談内容の中にも「そんなに疲れるなら、自分のことなんて産まなきゃよかったのに」
という「いらない子」と感じるようなつぶやきをする子供たちに出会うこともあります。
私自身、親になって、自分の子供たちが手元にいないことを基に、お越しになる子供たちに親目線での話も織り交ぜて伝えることができています。
気持ちは話してくれないと、何に疲れているのか理解できないのが、今の子供達でもあるのかもしれません。
むかしほど、慮ることができる子は減ったと感じます。慮りすぎたのは、過去ですし。
ただ、「伝えても逃げずに聞く」そんな子は増えたと感じます。聞きすぎるのは、今かもしれません。
どちらがいいか、どちらが良くないか、それぞれのシーンごとにあるでしょう。
どうしても昔の価値観は出ちゃいます。
だって、新しいことを我々はまだ知らないのですから。
過去の過ちもあれば、今の課題もあるわけです。
大人も子供も、それぞれに見直しがかけれるといいのですが、
なんたって、大人になればなるほど頑固になります。
子供が見ていてもそうですし、当の自分もそうではありませんか?
大人が伝えるのは、「疲れたのなら、その理由を」
子供が確認したいのなら、「なにに、つかれたのか。」
ただそれを、伝え合えたらお互いに協力し合えるはずのなのです。
みんなが疲れずに、少しでも笑顔で過ごせるのが一番ですが、
もし、いろんな感情が湧いてしまうのなら、大人として言葉を選びながら子供さんに伝えてみることも、
信頼だと感じます。
そうすると、子供の闇(病み)は深まらないと感じます。
ただし、大人がすることは「大人として言葉をきちんと選ぶこと」です。