思いを深く、親切すぎて、蔑ろにする「好きになる側」



好かれるのが当たり前の人
好きになるのが当たり前の人

持って生まれた素質のようなものがあります。
自分で知っているか知っていないかで、人生は大きく違ってくるでしょう。

どちらも会得している人は、生きている意味が見出せないぐらい、達観しているかもしれない。
なかなかお目にかかることはありませんが、稀にお会いすると、明らかに人と生き方は異なり、
質素清潔、そのものです。(私自身もいつかは目指したい道であります)

数字の面で例えるなら、
好かれる度合いが、1から100で行き来する人がいれば
好きになる度合いが、1から100で行き来する人もいます。

求める指数もあるし、学ぶ指数もあるし、自分がどのバロメーターでいなければいけないのか、
そんな課題ぐらいは見えているはずなのに、放置し続けている人もいます。

それはそれは、苦しそうです。



今回は、「好きになる側の人」の話

親切すぎる好きになる側。

好きになるのが当たり前な人は、自分が好きになる想いに苦しむ人が多いです。

思いが、重いとか負担とか、きついとか、相手が大変とか思ったり、言ってしまったり・・・
いつもそんなふうに考えて、距離をうまく縮めることができなかったりします。
好きになる対象が見つからないときは、持て余すような雰囲気になることもあります。

好きのレベルが100に近いぐらいに行きすぎると、やばいぐらい好きになりすぎる人です。
尽くしすぎる、人をダメにする、思いが強すぎて自分を破滅に追いやります。

自己犠牲が当たり前になりすぎるのが、100近い度合いの「好きになる人」です。

これも30〜50の好きをいつも経験して、思いの向け方を研究するといいし、自分の好きの価値観が大切なものであることを認識してほしいです。

むやみに自分で自分を貶める癖をやめましょう。

その「好きになる力」は必ず活かす時が来るということを知って、いざという時に枯渇させないことを努力しましょう。

大切なとき以外に使っている「好き」ほど無駄な労力はありません。

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